グリンデルベルグの歴史、それは日本における洋菓子の歴史

グリンデルベルグの歴史、それは日本の洋菓子のはじまりまでさかのぼる。
グリンデルベルグのオーナーシェフ 門林秀昭の祖父 門林 弥太郎は日本洋菓子界の草分け的存在。

祖父 門林弥太朗と

祖父 門林弥太朗と

明治17年長野県に生を受けた弥太郎は12歳の時に上京し、米津風月堂に入店する。
そこでヨーロッパ諸国で修行をし帰国したばかりの米津恒次郎から製菓を学んだ。
若くして製造責任者を任された弥太郎はシュークリーム、エクレア、スイートポテトなど
今では誰もが知る洋菓子を製造し日本に広めた。
また「コロンバン」の創業者 門倉国輝、「洋菓子のヒロタ」創業者 廣田定一、「クローバー」創業者 田中邦彦と近代洋菓子界を背負う数多くの子弟を世に送り出した。
長年 職長を務めた弥太郎は昭和31年暖簾分けし、自由が丘風月堂を創業する。

抽象的造形菓子の第一人者 、父 門林泰夫

父 門林泰夫と

自由が丘風月堂を創業した弥太郎は75歳と高齢であったため、実際に店を切り盛りしたのは弥太郎の息子である門林泰夫であった。
父 弥太郎とともに米津風月堂で働いた泰夫は幼い頃から口伝で洋菓子作りを体と頭に染み込ませてきた。
高度成長期で日本の食生活が変化していくなか、製菓企業からの依頼で数多くのお菓子を開発し洋菓子の普及にも寄与した。
日本国内外から数多くの賞を受け、国外ではフランス菓子組合発行の「la patisserie illustree」「Patissier moderne」誌に新しい菓子として掲載された。
抽象的な造形菓子はそれまでなかったため、ヨーロッパ全域に高い評価を得るにいたり工芸菓子の門林泰夫として世界に知られるようになった。
自由が丘風月堂は場所柄、黒柳徹子や東野栄治郎をはじめ多くの芸能人・著名人にも愛された。

カナダで培った職人の腕

欧風菓子グリンデルベルグのオーナーシェフである門林 秀昭は実家である自由が丘風月堂で菓子作りを学んだのち、次の修行の場に選んだのが、大自然の恵があふれるカナダだった。
カナディアンロッキーにある世界有数のリゾートホテルであるバンフ・スプリング・ホテルに入社し、後に製菓長になる。

バンフ・スプリング・ホテル時代 -職長の証である赤いスカーフをまく門林秀昭(写真中央)-

英仏の文化を融合したルーツをもつカナダの地で様々な技術を吸収し、バンクーバー・エドモントン・カルガリーで開催される食の祭典では、総合優勝、金賞など多数の賞を受賞する。

帰国後はカナダで培った自然のエッセンスを盛り込んだ独自の洋菓子作りを追求すべく、自由が丘風月堂を継がずに自然あふれる栃木の地に『緑の山』という意味を持つ欧風菓子グリンデルベルグを創業する。

激動の時代の変化に対応しながら数々のお菓子を世に送り出した祖父 門林弥太郎、父 門林泰夫の意思を受け継ぎつつ、カナダで培った自然の恵み活かしたお菓子作りを創造しつづける。